タニス・リーの平たい地球シリーズのすゝめ
キャラ紹介
アズュラーン
“「何を泣く?」
タニス・リー『闇の公子』より
戸にもたれたまま魅せられたかのように訊ねたアズュラーンは、驚くべき美貌を備え、髪は青味を帯びた黒い炎と輝き、衣は夜の威容の全てを含んでいた。
「あたしの人生があまりにもひどかったことを、今こうして死にかけていることを」女は言った。
「そちの人生がひどいものであったのなら、それをあとに出来ることを喜ぶべきだ。涙を乾かすがよい。どのみち、何の役にも立ちはせぬ」
女の目は確かに乾き、怒りのため、闖入者の石炭のごとき黒き目と同じように生き生きと光った。
「忌まわしい男! 神々に呪われておしまい。臨終の極のあたしを嘲笑いに来るとは。生きてきた日々が闘いと苦しみと痛みばかりでも、あたしは愚痴一つこぼさず死ぬつもりだった。ほんの二刻ほど前にこの世に産み出したこの息子のことさえなければ。あたしが死んだら、この子はどうなるのだろう?」
「やはり死ぬであろうな」公子は言った。「喜んでやらねばならぬぞ。そちの口にしたありとあらゆる苦しみを味わわずに済むのではないか」”
妖魔の王。闇の君のひとり。
地下深き底にある妖魔の都ドルーヒム・ヴァナーシュタを治めており、気紛れに地上へ出かけては人間を翻弄して遊んでいる。
妖魔は不死の存在だが太陽の光を忌み嫌い、アズュラーンも地上では夜しか出歩かない。またアズュラーンは人間にも動物にもどんな姿にも変身でき、自ら罠を仕掛けることも多い。アズュラーンの力は強大で、全ての呪いの父であり、並ぶ者はいないと言う。
そしてアズュラーンは人間の言葉では形容し難いほどの絶世の美しさを持ち、彼に目をつけられた人間はことごとく陥落し、アズュラーンの目論見通り災いの種を蒔いていく。またアズュラーンに愛された人間は彼の加護を受けられるが、ひとたび彼の愛を裏切り失望させれば、彼によって破滅させられる。
そうして人類を玩具にして楽しんでいるアズュラーンではあるが、身をもって滅びかけた人類を救ったこともある。そしてそれを何もしなかった神々の手柄にされてしまい、それどころか人間に間違って憎まれてしまって傷つく。そんな何処か可愛く憎めきれない闇の公子アズュラーンが私の一番のお気に入りキャラです。
なお、タニス・リーの短編集『血のごとく赤く』にも登場している。ジャスパーこと転生したドゥニゼルがラプンツェルとして登場しており、セルフパロディながらラストシーンは感動も一入。シリーズの最後に読んでほしい一作。
“一方、アズュラーンは高い楼上に立ち、ヴァイイの首飾りを手にしていた。
タニス・リー『闇の公子』より
妖魔の王は北と東、南と西をおし眺め、王国の宝を頭の中でひっくり返していたが、そこにいてすらカジールの声がつきまとい、からになった地上とその荒廃を唄い、君の君たる公子といえども、人間なくしては、地底の名もない土竜に過ぎぬのだと唄った。
やがてアズュラーンは首飾りを手の内で握り潰し、形もとどめぬ溶けた塊となして、ドルーヒム・ヴァナーシュタの街路へと呪いのように投げ捨てた。”
ウールム
“「どうしましょう」彼女は言った。「わたくしども、何もお払いできるものがございませんの。でも、うちの雌豚が子を産んだらきっと、全部お金にかえてきっと」
タニス・リー『死の王』より
ウールムは病気の子の上にかがみこんだ。むっとした空気のこもるみじめな室内には、肌寒いものが灰色のたそがれのようにたちこめ、だが、戸口にのぞく空は赤い。
「待って」母親が言った。「どなた、ですの。おしえて」
「知っている、と思うが」
母親は思わず手をたたいた。
「お医者さまかと思いましたの。まちがってしまって」それから、「どうか、おひきとり下さいまし」
「とは顔にはかいてないようだが」ウールムは言った。「ここ三晩ばかり、寝ずに祈りつづけていたではないか。食べさせねばならぬ幼い口と、暖を与え着物もきせてやらねばならぬ小さなからだが、一つでも減りますように、とな」
「それは」母親はぐっとつまって、「おお、なんていけない母親でしょう。罰があたりますわ、神さまがたの罰が」
けれども、泣くとみせて彼女は両手で顔をおおってしまった。ウールムがベットの子に顔をよせ、かるく心臓にひとふれする。それから背をかえして彼は立ち上がった。あばらやを去る彼の足もとに、真白いまつげから氷のなみだがふた粒こぼれて、入り口近くの花に散りかかった。たちまち花がしおれて枯れる。”
死の王。闇の君のひとり。
人々が死に抱くイメージを具現化させたような存在で、表情なく死から死へと渡り歩き、地上を彷徨い歩いている。地底には彼の虚無の王国があり、そこで契約した死人の魂たちに幻を描き出させている。
アズュラーンたち妖魔とは違い、彼は日の下でも活動でき、仲介人を通して死の商いをも行っている。しかしあまり積極的ではなく、ほとんど気が強く癖の強い女たちに押しきられてのこと。そしてそんな寛容を通り越してヘタレと言ってもいい彼の王国は最終的にカカア天下と化すのだった。やはり死は生命を産み出せる女には弱いのか。そんな彼の最終的なお気に入りは、空の精のハーフ娘カザフェの膝枕。
なお、タニス・リーの短編集『悪魔の薔薇』にも登場している。アラビアンナイトものの短編の中で、〈死〉として健在しながらも、いいサブキャラぶりを見せている。
“「お願いがありますの」ナラセンが言った。
タニス・リー『死の王』より
「言うてみるがよい」とウールム。
「地上のありさまをのぞける遠めがぬをお持ちとか。しばし地上の散策をゆるしてくださることもおありと聞きましたわ。死体のままの姿でも、かしこい魔法の処置をほどこしてくださるので、酸鼻な姿にはならないとか。ならばどうか地上に行かしてくださいまし。ひと晩と、ほんの何時かだけでよいのですわ」
「ぜがひにもと乞い願う者には行かせてやることにしている」ウールムは言った。「だがますますみじめになるのが落ちらしいぞ。代価も払うてもらわねばならぬし」
「ほう、〈死〉が商いをなさる」とナラセン。「で、お代価は」
「そなたなら決して、うんとは言うまい」ウールムは言った。「地上で目にし、行なってきたことの逐一を、帰り次第、夢でわたしに描きみせてもらわねばならぬ」
ナラセンはにっこりした。
「今度ばかりは承知しよう。せいぜい、わたしの冒険の幻でもむさぼり食らうがいいわ。この、人の皮をかぶった悪魔め」
「おまえだけだな。わたしにむかって、そんな物言いをするのは」ウールムは言った。
「だって、ちがいまして?」”
チャズ
“「これは、兄ならぬ美しき君に朝の挨拶を」と湖の上から音楽的な声が呼ばわった。「遅くまで出歩いておることよ。はや陽が昇る。いかなる所存であろうかな?」
タニス・リー『惑乱の公子』より
「案じてくれるには及ばぬ。御身はと言えば、ベルシェヴェドの狂気に呼ばれて参ったのであろう」
「ベルシェヴェドの狂気とは片腹痛い。何の面白味もありはせぬ。それよりずんと美味なるものがある」
「思い違いではないか?」アズュラーンは言った。「思い違いであろうぞ」
狂気の君、惑乱の公子は笑った。錆びた鍋を擦り合わせたような声であった。李色の外套をくつろげると微笑した。少なくとも見えている片頬は微笑した。目を伏せたまま。
「美しきアズュラーン」チャズはいとおしげに言った。「わしが見に参ったは御身の美しき狂気よ」
(中略)
チャズは優雅な身のこなしで背を向けると、堂を支える橋の下の湖面を歩み去った。それに伴って小さいながらぞっとする事が起きた。何十匹という魚が、狂気との接触により空気の中でも生きられると思い込み、岸に飛び上がって柱廊や花園の縁で溺れ死んだのだ。”
狂気の君。闇の君のひとり。
ウールムと同じように狂気の化身として狂気に呼ばれて、その狂人を臣下として更なる狂気を呼ぶ存在。アズュラーンやウールムのように自らの王国らしきものは持っていないのか、世界を放浪している。
その外見は金髪の美丈夫であるが、顔の半分は醜く老いており髪は脂っぽく血の乾いた色。そんな彼を正面から見据えられる者は極限られている。そして七つの声色を使い分けられ、彼の持つ驢馬の顎骨はけたたましく笑い、第二の声を発する。
同じ闇の君であるアズュラーンに並々ならぬ関心を持っており、それゆえに彼を恋の狂気に陥し入れ、その仲を引き裂くも、後にアズュラーンの娘と恋に落ちる。それでも腐っている私にはチャズが終始あの手この手で気になるあの子(アズュラーン)の気を引きたくて仕方ない小学生男子にしか見えないのであった。台詞がいちいちキレキレなところも好きです。
“「可愛らしい子よ」チャズはドゥニゼルの娘ソーヴェに言った。「この面白味なき奥殿より連れ出して進ぜよう」
タニス・リー『惑乱の公子』より
子供は、ソーヴェは、チャズのように目を伏せたが、その理由は同じではなかった。
「自らの相続したものを見たくはないかえ?」チャズは言った。「怯えることはない。太陽はほぼ燃え尽きておるが、残りの火からはわしが護ってやる。そなたゆえに日没まで待ったのだよ。母御と父御は生憎と、用があって他出しておるがな、わしは叔父としてそなたを養女としに参ったのだ。善意の証しに、ほれ、良い物を進ぜよう」
青い宝石が再び上げられ、紫色の宝石に焦点を合わせた。かの骰であった。
ソーヴェは受け取りはしなかったものの骰を見つめ、そのソーヴェをチャズが見つめた。チャズの異様な両眼は二つながら魔法の球面で被われ、白玉と黒玉と琥珀からなるそれは、素晴らしい天然の眼二つを完璧に模していた。少し離れて見ればころりと欺かれてしまったろう。いかさまチャズは、アズュラーンの娘に言い寄るにあたって、最高の装いを凝らしたのであった。
にもかかわらず、子供は贈物を取ろうとはしなかった。昼の最後のきらめきが敷居際で死に絶える間、不信も不安の色もなくちらちらと彼を見はしたものの。
「これは痛い」チャズはやがて嘆じた。そして、挑発するかのごとく子供に背を向けた。そして、丁度その瞬間に湖と床を抜けて七歩先に姿を見せた妖魔の王アズュラーンと、顔を突き合わせた。
チャズは悪びれなかった。美しく微笑み、青銅の仮面も見事に一致した動きを見せて微笑んだ。
「これはこれは」チャズは言った。「結局、叔父にはなれぬと見える。あれほどの対価と引替えに手に入れた子供ながら、御身は忘れてしもうたものと思うていたに」”
ケシュメト
“「お恵みを、お情けを、お助けを」と。美しいが聞き憶えのない声。ソーヴァズは隠された大理石のごとく身じろぎもせず佇み、なおもひとことも発しなかった。「お慈悲を垂れ給え」物乞いは言った。「明日はわが身かも知れぬじゃて。かつてわしは王じゃった。今はご覧の通り。お恵みを、お助けを、お情けを」それからたいそう低く、何か野鳥の叫びを思わす意外なかの笑い声を再び発した。
タニス・リー『熱夢の女王』より
「なにせ、酷き宿命をよく遁れ得る者はおらぬでのう」
(中略)
やりとりの間、ソーヴァズは片側に佇み、見聞きしていた。今や再び口を開いた。「貴方なら存じ上げている」と言った。「だが同時に知らぬ。乞食の王とな? 戸口で自ら名乗られたであろう?」
男は振り向き、会釈をした。微笑みながら。黄金の宝冠がつややかな無毛の頭に出現した。蜥蜴が見上げて仔猫のごとく喉を鳴らした。
「どの名を用いたかのう?」
「〈宿命〉」
「ではわしは〈宿命〉よ」”
宿命の王。闇の君の一人。
彼を目撃してこそ人は己が今、逃れ得ぬ運命の只中にいることを知るのである。連れている赤い蜥蜴がカメレオンのように自在に色を変えるように、彼の柑子色の衣も物乞いから王の衣へと様変わる。闇の君きっての良心派なのは明らかで、時には警告を与えることもあり、アズュラーンの娘アズュリアズに一番叔父らしく世話を焼いた。
『熱夢の女王』からの登場ゆえ、描写が少なく、謎も多い。しかしながら最も俯瞰的に物事を眺めている言動には貫禄があり、アズュラーンを除く概念が具現化した闇の君たちの中では一番老成しているキャラなのかなと思います。ちなみに『The Origin of Snow』という短編では、若い頃のアズュラーンがまだ人の姿を形成していない〈宿命〉の姿を目撃している。
“すると、宿命の君ケシュメトは笛を吹くのを止めてこう言った。
タニス・リー『熱夢の女王』より
「両扉に限らず、扉そのものがなかろうが。笛も骨で出来てはおらぬよ」
「第四の闇の君よ」ソーヴァズは言った。「なにゆえここに?」
「高きは投げ落とされ、低きは高うせられる。それが宿命の法則よ。投げ落とされたベルシュヴェドを見るがよい。折りに触れて訪れる決まりなのじゃ。体裁は保たねばならぬでな」
「したが、なにゆえこの早朝に?」
「お主は自らの宿命を捜しにここへ来た」ケシュメトは落ち着き払ったものであった。「見つかるであろうよ。一部なりとも」
「わたしの宿命とは何じゃ?」
「挑まんで欲しい、ソーヴァズのアズュリアズ、アズュラーンの娘よ。わしは宿命を知っておるわけではない。象徴しておるに過ぎぬのじゃよ」
そして立ち上がり、笛(淡い色の翡翠で出来た)をしまうと、礼儀正しく腕をさしのべて都へ招じ入れようとした。
「よければ、母御の墓に案内したいが」ケシュメトは言った。”
ジレム(=ジレク=ダタンジャ)
“「おれには女はいらない」やがてジレムは口をひらいた。「だが、この力を与えてもらったことはきみに感謝している。上の世界でさっそく、お世話になりそうだからな」
タニス・リー『死の王』より
「甘い夢を見ないことね。呪ってやるわ。セーベル中があなたを呪うわ。王を、父を殺したあなたを」
「殺されただけですめば、もうけものだが」
「どうするつもり」
「セーベルってのは罠だらけの都だそうだからな。こいつは無事通りぬけるためのお護りにする。至れりつくせりの忠告に礼を言うぜ」
真鍮の壺は、いつのまにか鳥籠にかわっていた。ジレムはせかせかと動いて魔法で封印し、彼以外の何人もハーベズュールの遺骸を取り出せないようにした。そうしておいて、籠ごしに死んだ王の御髪をひっぱり出して、こぶしに握りしめる。
「今日からは、この鳥籠がこいつの王国だからな。国ごとお連れしないわけにはいかない」
「ひどいことをするのね」ハーバイドは言った。「海の民を、なめないことね」
「自分でも、あきれてるよ」ジレムは言った。「でも、ずっと昔から、こうなるべく運命づけられていたんだ。悪の猟犬がついにおれを捕まえたのさ。悪の、妖魔の猟犬どもが」”
不死の人間。『死の王』より初登場。
妖魔の美しさを持つ外見ゆえに、その身を案じた母親によって井戸のあやかしの炎に焼かれ、不死の身体にされる。それからより一層周りから疎まれながらも善をなそうとするが、それがことごとく裏目に出てしまったせいで結局やさぐれて恐るべき魔術師ジレクとなる。そして常に死に焦がれながら悪にひた走りまくったが、その反動で最終的には賢者化した。その極端すぎる性格ゆえ、シリーズの人間キャラでは一番の存在感を放ち、チャズを除く闇の君全員と絡みがある。地味にすごい。
愛憎の果てに両性具有の恋人シミュを失ったジレムは石となりウールムに与えられた仮死の眠りについていたが、『熱夢の女王』にてアズュリアズに見出される。ダタンジャと名乗り直した彼は、しばしアズュリアズと反目し合っていたが、記憶をなくした彼女と再会してからは共に第二の人生を生き直す。
死に焦がれながらも死ねない彼の激動の人生はどのシーンを切り取っても強烈で、だからこそ最後の穏やかさには沁み入るものがあります。
“「このことに限り、ずいぶん手厳しいようだな」
タニス・リー『死の王』より
「このことだけとでもお思いですか。とんでもない。わたしはこんな宿命を負わせてくれた母を呪う。わたしを惑わし、わが魂に巣食う蛆虫を見せつけてくれたシミュを呪う。それから、アズュラーンを――命の心配なしにこんなことを口にできる人間は、おそらくわたし一人でしょうけれども。それから、海の娘ハーバイドを――悪用するしかない、かくも無益に強大な魔法の力をわたしに握らせた、あの海の娘ハーバイドを。わたしを怖るるがあまりわたしの前に屈し、戦う気力もなく、体内の癌にも等しい存在だろうこのわたしに、当然の報いたる破滅をすら与えることのできぬ世の中だって呪ってやる。王の中の王たる方よ、あなただけ、あなただけがわたしに慰めをもたらしてくれるのです。死こそわたしの求めてやまぬただ一つのもの、そしておそらくは、手にすることのできぬただ一つのもの」
「死するとは、そなたが考えているようなものではないぞ」〈死〉は言ったが、それ以上のことは口をつぐんだ――計略の足しになるとは思われなかったので。”
アズュリアズ(=ソーヴァズ=ソーヴェ=アトメ)
“「そのほうの非礼に対する罰が滞っておるな」と。凍った露が鋼に変わり、木々から落ちて小さな蛞蝓に脳震盪を起こさせた。「滞っておるを忘れる余ではないと心得よ」
タニス・リー『熱夢の女王』より
「罰なれば得ております」とソーヴァズ。「お与えになったこの命そのものによって。死を知らず終わりなき命なれば、懲らしめは永遠に続くのです」
するとアズュラーンは手を伸べ、そっと娘の頭に置いて言った。「ヴァズドルーは泣かぬものぞ」
「誰か泣いておりますか? わたしではありませぬ」
「言葉の一つ一つが涙であったよ」
だがじっと見つめはしたものの、娘が眼を上げて見るとつと顔を背け、夜空の彼方を眺めやった。公子は認めずとも、ドゥニゼルを想い出させずにはおかぬ娘であった。女に成長したわが子を見た、その最初の一目に公子は剣のごとく貫かれていた。疑問の余地はない。だが嫌うのもまた致し方ないことと言えよう。自らの業を代わって地上に行う者として生した子ゆえ、ソーヴァズは公子の悪そのものの具現にして化身なのだ。或いはドゥニゼルによって自身の人なりに、悪に、疑問を抱かしめられていたのであろうか?生前の乙女の狙いはそれと見えたが。
(中略)
アズュラーンは娘の髪から手を退け、愛撫を反故にした(獅子は身震いした)が、こう言った。「そのほうの名、今は何と言うぞ?」
娘は答えた。「アズュリアズ」と。”
アズュラーンとドゥニゼルの娘。
父譲りの美貌と魔力、母譲りの青い眼を持つ半妖の娘。やはり父譲りのモテモテ具合で、闇の君たちにも愛されている。特にチャズとは来世を超える愛で結ばれている。
しかし妖魔は子を自らの分身と考えているがために父には捨て置かれ、チャズとの恋も引き裂かれ、自棄になって女神として君臨するも、神々の怒りを買って記憶喪失となるという波乱万丈な苦労人具合に涙を禁じ得ない。しかしダタンジャと共に生きるということを学び直した彼女は、ついには母と同じ結論へ辿り着くのであった。
個人的にはダタンジャとの擬似親子生活が一番幸せそうに見えたのでこのコンビ推しですが、やはり実父アズュラーンとの最後のシーンがとてもお気に入りです。
“「私に何を望んでいるのです?」ダタンジャは言った。
タニス・リー『熱夢の女王』より
「先刻承知じゃろうが」〈宿命〉は蜥蜴を手に乗せた。体を温める石炭のように。「愉快な勘違いではないか。猫の傍らで目覚めた鵞鳥の子が、猫を母か父と思うようなものよ」
「違うと言ってやってください」
当惑している子供の怯えた眼の前に立ったダタンジャは言った。黒髪のダタンジャ、黒い眼に黒い衣、肌蒼白く、見目麗しい。いずれも妖魔の国の印に他ならぬ。
「言うならお主が言うのじゃな」とケシュメト。「相手は子供じゃ。お主の娘と思い込んでおる。別人と間違えておるのよ」
「私はアズュラーンではない」ダタンジャは言った。アズュリアズであった娘、かつて大陸ほどもある都にて、その名を聞いただけで世界の三分の一がひれ伏すと見えた四阿に坐し、兵に命じてダタンジャを連れて来させた娘に。
すると娘はかぶりを振りながらも再び手をさしのべた。
「子供なのじゃ」ケシュメトが繰り返した。「或いはあの御仁とは思うておらぬやも知れぬ。物事はそれほど単純とは限らぬでな。だが妖魔の一族としてお主を同類、半ば妖魔にして半ば人間、不死の者と思うてはいよう。また自らに生命を吹き込んだ者ともな」
「常に憎んでいたはずです。父となった者のことは」
「見るがよい。その憎しみがあれじゃ。見よ」
娘は立ったまま泣いていた。泣きながら低い声で父親に呼びかけ、自分のどこが悪かったのか、何ゆえ愛して貰えぬのか、何ゆえ父に締め出され、酷い世間に独り迷子として突き離されたのか尋ねている子供であった。”