闇の公子
真面目な感想
平たい地球シリーズの記念すべき第一作。
まだ地球が平らであったころ、地底深くには妖魔の都があった。
そこに座すのは闇の君のひとり、妖魔の王アズュラーン。
彼が司るのは夜であり、美であり、そして〈悪〉である。
残酷で耽美な物語はアズュラーンが引き起こす破滅の連鎖で結ばれており、その行く末を見届けたころには、読者もすっかり彼の魅力の虜になっていることだろう。
作中の人間たちがことごとくアズュラーンに抗えなかったように。
タニス・リーの色彩豊かな描写力と圧倒的な筆力、それを古めかしく雅に翻訳してくれた浅羽莢子の文章が素晴らしい本作。
日本語とはこれほどまでに美しく書けるものだったのだなあ、と私はこの本を読んで改めて感動しました。
耽美描写に抵抗がなければ、ぜひとも一度は読んでほしい本です。
間違いなくあなたを異世界に誘ってくれ、現実を忘れて没頭できることでしょう。それこそ上質なファンタジーの証であると、「指輪物語」のトールキン教授も「妖精物語について」という彼のファンタジー論をまとめた本で言っていました。
本作のメインキャラクターとなるアズュラーンは、美形の人間を男女問わず好み、その者に悪の素質があれば誘惑し、ひとたびその恩寵と愛を裏切れば死の制裁を下す。かなり容赦ないキャラクターとなっています。
しかし、読めばわかるのですが、彼の振る舞いは気まぐれでありながら理不尽さをあまり感じさせません。タニス・リーは話運びがとても上手いので、なぜその人間は彼に破滅させられたのか、というプロセスをしっかり描写してから遂行するので、つい読者も「そりゃそうなるがな~」という感想になってしまいます。作中、途方に暮れたミラーシュへ語り部はこう言います。「楽しい物語とは言えんまでも、正義が行われたに違いない」と。「闇の公子」自体にも、それが言えましょう。アズュラーンの誘惑により人類は堕落していきますが、そのケジメもつけるのもやはりアズュラーンなのです。
堕落へ誘う妖魔の君の言葉はどれも巧みで、見初められた者はアズュラーンの愛に溺れていく者がほとんど。なぜかと言えば、アズュラーンの愛が無償の愛に見えるからでしょう。絶大なる魔力を誇り、美貌に溢れ、誰もがその名を聞けば畏怖して平伏す、完全無欠と言っていいほどの超自然的存在。それがアズュラーン。そのような存在が、しがない人間に対して求める対価などあるのでしょうか? 実際、彼の人間に対する愛は与えるばかりの純粋さすら感じさせます。しかし、その人はずれた愛に対し、人の器はあまりにも矮小であることを、その愛を裏切った瞬間あるいは見返りを求めた瞬間に知るのです。そしてアズュラーンが決して見返りを求めない神ではないことも。
そんな何処か人間くさい妖魔の王の仕返しはバリエーションに富んでいます。彼のその後始末の中で、「義」を重んじるミラーシュのように助けられた人間もいれば、カジールとフェラジンのように「愛」で打ち勝つカップルもいて、更にはアズュラーンも認める「美」を見せて見逃された双子もいるわけです。
人間が単なる欲望だけの存在だけではないことを、〈悪〉であるアズュラーンが逆に際立たさせてくれます。しかし一方で、この世界の神々はどこまでも人間には無関心で、自らが創った人類を「失敗作」とまで言い放つほど無慈悲な存在であることが終盤にて判明します。
だからこそ、アズュラーンが最後に取った行動に、人は皆心打たれるのではないのでしょうか。そして人類を弄んでいたアズュラーンにさえ、そのツケを取るための正義が行われる日が来るのです。そのカタルシスが本作の素晴らしいところだと私は思っています。
オムニバス形式で進められていく物語には、後の物語へ続く伏線が張り巡らされており、その終局に向けての収束ぶりも見事としか言いようがありません。
例えば、アズュラーンに見初められた少年シヴェシュから始まり、その彼の花嫁となるべく生まれた花の女性フェラジンを巡り、醜き小人ドリンたちの争いを通して人間界に流れた首飾り、それを手にした盲目の詩人カジールが彼女を見出す。これが第一部の流れですが、カジールの話は特に終局への重要な伏線になっています。
カジールはフェラジンを愛したがために、アズュラーンのいる妖魔の都ドルーヒム・ヴァナーシュタまでやってきます。彼女のために、富も永遠も全てを得ているアズュラーンに無くてはならないものがあるだろうか?という問いかけに対し、カジールはこう歌い答えます。
その大意はこうであった。不思議な富の全てにもかかわらず、地底の永遠の王国にもかかわらず、アズュラーンにとり無くてはならぬものが一つある。その一つとは人間である。「我らは貴方がたの玩具、貴方がたの娯楽」カジールは告げた。「貴方がたは常に我らがもとに戻り、我らが栄光を地に落とし、罠にかけては暗黒の笑いを発する。地上に人間なくば、妖魔にとり、妖魔の王にとり、時の流れはいかにも緩慢なものとなろう」
タニス・リー「闇の公子」
それは気まぐれに人類を弄び破滅させて楽しんできたアズュラーンの本質をこれ以上なく言い当て、これからのシリーズでアズュラーンが抱え続けるコンプレックスでもありました。特に「惑乱の公子」からクローズアップされていく部分なので、アズュラーンのキャラが気に入った方はぜひとも「惑乱の公子」以降も読んでほしいなと思っています。「闇の公子」のクライマックスでのアズュラーンの心情が詳しく書かれてもいるので。
ともあれ、こうして図星を突かれたアズュラーンはフェラジンを解放しつつも、二人に大人気なく仕返ししてきますが、その目論見は唯一失敗した結末も良いところです。アズュラーンの魔性の魅力に堕ちていくのとは違って、見返りも束縛も求めず犠牲をも厭わない愛の形だからこそ、カジールとフェラジンの二人は幸せを掴み取れたのかなと私は思いました。そして、この献身的な愛こそが真の愛の形であると、アズュラーン自身も後に自ら体現して思い知るのです。平たい地球シリーズ以外のタニス・リーの著作を何冊か読んでいても強く感じ取れるこの愛のテーマが、私はとても好きで、タニス・リーにハマってしまった一人です。
既読者向けのコラム
アズュラーンの名前
アズュラーン…どうやって発音するんだろう!?
でも字面がとてもステキすぎる訳ですよね!雰囲気がある!!特にュを挟むのがいいよね!!
原語では”Azhrarn”となっております。iPhoneの読み上げ機能だとアズランと発音していますね。タニス・リー先生はどのように発音してらしたのか、気になります。
元ネタは何かあるのだろうか…と思って、私が長らく思っていたのは色の名前であるアズール。アズュラーンの外見描写で、黒の次によく出てくるのが青色。ただアズールはどちらかと言うと明るい青い色なので、ちょっとしっくり来ないなとずっと思っていました。
そして不勤勉だった私は最近、イスラム教の四大天使のひとりアズラエルをようやく知りました。
日本だとアズラーイールだのアズリエルだのイズライールだの表記揺れがすごいので、とりあえず私はアズラエルという表記で統一して書きますね。
アズラエルは死を司る天使で、無数の目、口、舌を持ち、それらをもってして人間の罪を見張り、語り、裁くそうです。そして民間伝承での彼は、四大天使の中で唯一アダムの創造、つまり人間の創造に成功した天使なのです。
その話とはこのようなものらしいです。神アッラーにアダムを造る土を持ってくるように命じられた天使たちは世界の四隅に赴きました。しかし大地が「新しい創造物は神に反抗し、全てに不幸が訪れるだろう」と警告したため、アズラエル以外の天使たちは手ぶらで帰還してしまいました。しかし神に忠実であったアズラエルはその忠告を聞かずに任務を成し遂げ、人間の魂と肉体を分けることに熟知していたため成功。その功績から、アズラエルは人間の魂を司る死の天使としての役職を与えられた、というものらしいです。
それに何と言ってもアズラエルは「千夜一夜物語」にも登場しています!
「闇の公子」の訳者あとがきにて、浅羽莢子がタニス・リーに質問したところ、間違いなく「千夜一夜物語」を意識して書かれていると確認が取れている本作なので、アズュラーンはアズラエルをかなり参考にしているのではないでしょうか。
アズュラーンもまた、全てを見通す目を持ち、巧みな弁舌をふるい、死の制裁を下すキャラクターなので、そこに死の天使であるアズラエルの面影が見て取れます。またアズュラーンが人間に深く関わる由縁も、アズラエルの人間創造伝承から来ているのではないでしょうか。主や世界に不幸が訪れることを知りながら人間の創生に手を貸したアズラエル、アズュラーンが人間の不幸を楽しみながらも人類の破滅は許さなかったのは、そういうことなのかもしれません。アズラエルの名の意は“神の救い”というのも、あのラストを思えば、皮肉なことながらアズュラーンはその通りの役割を果たしてしまったとも見れます。
人間の魂と肉体に熟知している、という部分についても、容姿を美形にされたゾラーヤスのエピソードや魂を分けられたシザエルとドリザエムのエピソードを見る限り、妖魔はこの部分にかなり介入できるようなので、その特徴があるように思えます。またアズラエルが人間の魂と肉体を分離させる様は、「魂がアズラエルを見た時、恋に落ちたかのように誘惑されたかのごとく、その眼差しは体から引き抜かれる」そうで、これはまるで人間を勾引かすアズュラーンそのものの描写と言えましょう。
そしてアズラエルは異形な姿で描かれることが多いらしいのですが、人間の死の淵に立つときには美しい若者の姿をして現れるようで、ここにも美しきアズュラーンの起源を見て取れる存在です。
最後に、これはアズュラーンには全くない要素なのですが、アズラエルの手には全ての生者の名を記した書物を持ち、人が死ねばそこから名前が消えるそうです。閻魔帳的な感じですかね。
【参考文献】
リチャード・F・バートン、大場正史訳『バートン版千夜一夜物語6』筑摩書房
真野隆也『天使』新紀元社
Rosemary Ellen Guiley, Encyclopedia of Angels,Facts on File
フェラジンの元ネタ
フェラジンの元ネタは、中世ウェールズのケルト神話マビノギオンに出てくるブロダイウェズなんじゃないかなと私は思っています。
マソヌウイの息子マースという話に登場する彼女は、人間の妻は持てないという呪いをかけられていたスェウのために花から作られた女性。オークの花、ニワトコの花、メドウスィートの花から出来ている、文字通りの花嫁です。
しかしそんな彼女はスェウではなく別の男性を愛してしまい、そのために夫を裏切り二人して殺害まで企てます。しかしスェウは鷲となって逃れ、一命を取り留めました。その裏切りの代償として、不倫相手は殺され、ブロダイウェズは梟に変えられたという結末。
これが大まかなブロダイウェズのエピソードですが、元ネタのほうが妖魔めいていたキャラしていて驚きました。そんな彼女を再構築し、愛らしいヒロインに仕立てあげ尚且つハッピーエンドにしたタニス・リーの手腕に唸るところであります。オリジナルでは軽視されていた女性の人格性をより肯定的に描けるようにアレンジして書いたのが女性作家ならではという感じもします。
日本人的には夏目漱石の「夢十夜」の第一夜も思い出しますが、おそらくどちらも「千夜一夜物語」を参考にしているから似たようなエピソードになったのかなと思いました。でも私は「千夜一夜物語」を全部読んだことないので、該当エピソードがあるかどうかはわかりません!スミマセン!いつか読まねばならぬと思いつつ、巻数が多すぎてどれから手をつけていいのやら……。
ちなみにマビノギオンは、ロード・オブ・ザ・リングの挿絵画家で有名なアラン・リーが挿絵を描いている本が出版されていて、そのブロダイウェズのイラストがとても素敵だったので、既読者の方で興味があればぜひこちらも読んでくださると嬉しいです。
【参考文献】
シャーロット・ゲスト、井辻朱美訳『シャーロット・ゲスト版マビノギオンーケルト神話物語』原書房
頭わるい感想
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