『薔薇の血潮』と吸血鬼もの

タニス・リータニス・リー

 ハロウィーン合わせの記事にする予定でしたが、普通に間に合いませんでしたーー!!

 ダークファンタジー小説家なので、もちろん吸血鬼ものも多く書いているタニス・リー。
 吸血鬼ものが苦手な私ですが、これはタニス・リー小説の中でもかなり上位に入るくらいお気に入りです。
 初めて読んだとき、とんでもねえ小説を読んでしまっただ……と良い意味で放心した思い出。無神論者の私ですらこんなにも衝撃を受けたのですから、敬虔なキリスト教徒の反応がとても気になる作品です。
 一言で言えば、あらゆる角度からキリスト教に喧嘩を売ってみた問題児。
 それがこの『薔薇の血潮』です。
 作中ではクリストゥスと微妙に名前が変えられているが、それはこの問題児を出版するための策と見受けられる。クリストゥスの名にかけて十字を切っているのだから、これは明らかにキリスト教を題材にしたお話と言っていい。
 そして実はキリストと吸血鬼って色々共通点があるよね?というテーマで大胆にも突き詰めすぎたのが本作である。
 ゆえにキリスト教の歴史的背景や知識がないと置いてけぼりにされる可能性があるのだが、それでも最後まで読ませてしまうのがタニス・リーのすごいところである。初読の私がそうでした。

 しかも驚くべきことに原語版が出版されたのは1990年!
 あの『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作小説である『氷と炎の歌』よりも古い。
 そんな当時にこんな問題児作品、よく出版できたな!!と心から思いました。

 あと『薔薇の血潮』のついでに、オマケとして他の吸血鬼もの短編も軽くまとめてみました。
 吸血鬼ものが好きな人はぜひチェックしていってね!

薔薇の血潮

 そもそもキリスト教は、かつてヨーロッパに広がっていた大森林ごと土着信仰を消し去りながら根づいていっていたものである。
 その昔、農民たちは森を信仰していたため開墾を渋っており、お偉い貴族方はどうにか彼らに畑を耕せて己の利益拡大を狙っていた。そこで利用されたのがキリスト教の布教である。土着信仰を迫害し、彼らの森に対する信仰心を強制的に消し去った。そうしてヨーロッパとキリスト教は発展していったのである。

 実は吸血鬼という概念も、この流れと似たような経緯を辿っている。
 そもそも吸血鬼自体は主にスラヴの民間伝承で伝えられてきた魔物だったのだが、それがキリスト教と深く結びつき、十字架に怯える反キリストの魔物へと変容した。ブラム・ストーカーの小説によるドラキュラで追加された多くの弱点設定は、明らかに敬虔なキリスト教徒による発想から付与されたものばかりであり、そのような反キリストの魔物を追い払う冒険活劇がキリスト教を信奉する大衆の心を強く掴んだのは当然といえよう。
 そうして今日の私たちがよく知る吸血鬼のスタンダードとなったわけです。

 さらに『堕ちたる者の書』の解説にて萩原香はこう述べている。
 “ドラキュラは血を奪うことで不死を獲得する。これとは逆に、自らの血(ワイン)を分け与えることで永遠に生きるのはイエスである。ドラキュラは逆立ちしたイエスなのだ。そういう意味においても、吸血鬼は極めてキリスト教的な存在である。”

 そこに以前から目をつけていたと思われるタニス・リー。
 じゃあ吸血鬼にキリスト役を任せてラスボスにさせるわ!
 そうして大胆に作り上げたキャラが、今回の敵役アンジェレンなのである。

 キリスト教と吸血鬼伝承を表裏一体に描いているタニス・リーのストーリーテリングが凄まじい本作、確かに両者は至る部分が密接な関係にあると気づき、アンジェレンは何処までも“聖人めいた悪魔”であり“物語の神”として君臨している。
 平たい地球シリーズのチャズがドゥニゼルに向かって「実を申さば、聖と俗悪との間には、理念や行動を除けば、異なる点は無いに等しい。いずれも狂信的、いずれも冷酷な者よ」と言っていたが、アンジェレンはまさにそのようなキャラクターであり、キリスト教の清濁を容赦なく味合わせる存在なので凄みがあります。
 さらに彼はフランケンシュタイン博士も兼ねています。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』とジョン・ポリドリの『吸血鬼』が同じ夜に生まれたエピソードは有名で、元祖ゴシック小説繋がりでそこも拾っているタニス・リー。結果、アンジェレンは傲慢なフランケンシュタイン博士のごとく憎たらしく、主要キャラを生み出していった“父”でもあるのだ。

 ここからめっちゃネタバレしていくので、段落を変えます。
 まだ読んでいない人は、読んでから続きを読むんだ!!

 キリスト教は父権制であり、男尊女卑の面があるのは言い逃れられません。
 その最もたるのがイブ。彼女は禁断の果実を口にし、人が楽園を追われた元凶。それ以来、生命を産み出せるはずの女は不完全な生物で男を堕落させる不浄なものとして扱われました。
 そのためアンジェレンは人間の創造を望みながらも、自らの処女性を捨てずに清廉潔白なまま成し遂げようとします。キリスト教はその解決策として、聖母マリアの処女受胎というファンタジーを生み出しました。しかし私は女なので兼ねてより思っていましたが……処女受胎なんてのは拗らせ童貞のキモい妄想ですよ!!(言っちまったな!!) タニス・リーもそこは冷笑的に思っていたのかもしれず、ファンタジー小説でありながら現実的に書きました。その結果、この『薔薇の血潮』はだいぶエログロな小説になり、汚いところを全て押しつけられたアニリアは機械的に男に犯されたあまり復讐のマリアと化します。
 自分が腹を痛めて産んだ子の親権を主張し横取りしようとする神なんて、そりゃふざけんなと思うのは当たり前だよなあ?
 つまりアンジェレンVSアニリアは、イエス・キリストの親権を巡った神VSマリアの戦いにも見て取れます。
 それが判明してから、なにこれ激熱展開じゃん!!と私は燃えに燃えました。キリスト教に懐疑的な女性読者ならば、これはもうほんとにめちゃくちゃ面白い小説なのです。この『薔薇の血潮』は。
 そして、その決着の仕方も大好きです。大雑把に言えば、アンジェレンは犯されて肋骨で杭打たれて腹上死するので最高に因果応報!!と気に入りました。性癖的にクライマックスなエンドでしたよ、本当に。

 しかし、そんな憎たらしすぎたアンジェレンですが、彼もまた“キリスト”ではあったのです。
 森の神に捧げられた幼気なジュン、それが彼のルーツであったわけですが、彼もまた信仰による犠牲者の一人だったわけです。
 考えてみれば、キリスト教も生命の樹と知恵の樹を発端に人の歴史が始まっているわけで、森への土着信仰は部分的に残っているのかもしれません。そしてジュン時代の無邪気な『ウサギになりたい』発言もそうですね。ウサギは土着信仰時代に崇められていた豊穣の女神を象徴する動物で、中世時代にはキリスト教に迫害されて邪悪な生き物とされましたが、いつのまにかイースターで親しまれる動物になりました。キリスト教は土着信仰の全てを迫害しきれたわけではなく、融和しながら今日に至るわけです。
 アンジェレンはまさにその体現者となりました。性根は異教徒でありながらキリスト教的にもパーフェクトな信奉します。彼はその矛盾を感じませんし、私もつくづく思っていたことです。同じ神を崇拝しているなら、信仰の形など大して問題なかろうと。八百万の神という発想のある日本では大して不思議ではない考えです。しかし、一神教を信ずる者にとっては多分驚くべき考えなのだと思います。
 しかし、神は犠牲を強いる者でもあります。少なくとも、この小説の神はどちらであろうとそうなのです。だからその神を体現していたアンジェレンは、自ら生み出した人間たちに同じ犠牲を強いた結果、歯向かわれ敗れ去ることになりました。
 アンジェレンの目的は、この本では最後まで具体的に明かされませんでしたが、人間がなぜ子孫を残すのか明確に答えなど出せないのと同じかと私は思いました。子供は自分の写し身にならず所有物にもならない、普通の人間ならば自ずとわかることです。なのに私たちは結局血を残すのです。どう理屈をつけようと結局それは本能的に血に縛られた結果なのではないでしょうか。
 つまりアンジェレンの最期はジュンという肉を捨てきれなかったがゆえなのでしょう。初読のとき、ラストのアンジェレンは引きこもっているうちにいつのまにか浅ましく弱っていて何故だろうと不思議に思いましたが、今ではアニリアたちを創造したせいで彼もそのぶん老いてしまったのだろうと思っています。アニリアがメカイルを産んで死んでしまったように、彼の精力も削られ衰えていったのかもしれない。あるいは血を煽るあまり、永遠の命を求めたあまり、聖性が失われていったのか。とにかく生き汚く野卑な吸血鬼に完全に堕ちた最後の暴れぶりは圧巻でした。

 そうしてアンジェレンを倒した先に辿り着いたメカイル改めメカイルスのラストは、実に感無量な後日談です。
 彼は正確にはメカイルが生み出した侏儒メキが主な正体と言えるわけですが、ワンちゃん!!とまず感動しましたね。戯れからヴェクサと名付けるところも良かったです。
 メキはそもそも取り換え子だったので、一番アンジェレンやアニリアと言った親たちから遠いところにいる存在だったからラストまで逞しく生き残れたのかなあと思いましたね。しかしアンジェレンの十字架をくすねて、コルフレンの生贄の儀式も継承しているので、一番アンジェレンが望んだ跡取り息子になっているような気がします。
 そしてアンジェレンが失敗作と見なした双子の姉妹が、そもそもの発端であった森に火をつけた最後。なかなか象徴的なエピローグです。これから来るであろう信仰の死を予感させるような、そんな暗示を私は見ました。少なくとも神であったアンジェレンに止めの追撃として相応しい最後の描写に思えました。そして何より、人間は結局森を焼き払って文明を花開かせてきた生き物なのです。そんな皮肉の効いている最後でもあり、私はめっちゃ好きだなコレ!!と思いましたね。

 そしてこの記事を書くにあたって再読してみたところ。
 メカイル周りはドラキュラのモデルであるヴラド三世ネタも拾っているんだなあと新しく気づき、メカイルスの帰還は彼の人生への慰めも兼ねているのだと思うと更に胸熱になれましたね。
 ヴラド三世はキリスト教徒ゆえにオスマン帝国と戦い、美男公があだ名の弟に国を追われ、キリスト教徒ゆえに暗殺されてしまったので、上巻のメカイルはまさにそんな感じですよね。しかしドラキュラ伯爵のごとく棺から復活して、クラウに逆襲している姿にスカっとしました。そこから彼は魂が抜けてアンジェレンに連れて行かれて迷えるキリスト化するわけですが、ヴラドの人生を知っていると、まあ神に反抗期になるのも仕方あるまいと思ってしまいます。
 でもそもそもコルフレンはヴラドの人生に影を落とした大本の原因となるマーチャーシュことマティアス・コルヴィヌスのモチーフが与えられているんですよね。コルリス・ヴレ・コルフレンは特にヨセフ的な種馬扱いでしたが、モデルのマーチャーシュは実子に王位継承できなかった人なので、そこも彼への慰めなのか皮肉なのか…興味深い配置でしたね。

 そしてアンジェレンとメカイルの荒野の誘惑は、この『薔薇の血潮』だけでなく『死の王』でも使われたモチーフですね。
 というか『薔薇の血潮』自体が『死の王』のリベンジ作と言ってもいい感じです。アズュラーンとジレムとシミュで書いたことを、よりモチーフに近づけて書きたかったのかもしれません。でもあからさますぎるので、私は『死の王』のほうが好きなのですが……。『薔薇の血潮』はアンジェレンとアニリアが好きなものの、メカイルとジャシャについては『死の王』のジレムとシミュのほうがやはり魅力的だと感じます。
 ともあれ、タニス・リーはやっぱキリスト×ジャンヌ激推しなんだな!と思いましたし、イヴ役が最後にアダム役を笑うラストなのは違いありません。そこが好きだなあと強く思いますね。
 やっぱり私も女ですから。

タニス・リーの吸血鬼もの紹介

 日本で翻訳されている吸血鬼もの作品を簡単に紹介しておくコーナー!
 単独記事では書きにくい短編もの中心。ぜひ読んでいってくれよな!

血のごとく赤く

 短編集『血のごとく赤く』の表題作。
 「鏡よ鏡。おまえの目にうつるのは誰?」という女王の決まり文句から始まる白雪姫だが、鏡はこう答える。「あなたが見えます、お妃さま。それから国じゅうのすべての人々が。見えないのはひとりだけ」
 それは誰かと言うと白雪姫。
 そう、鏡に映らないということはつまり!?という究極の一発ネタ短編。
 確かに白雪姫は、外見と言い、棺から復活するところと言い、吸血鬼の特徴と結構符合した存在である。
 しかも迎えに来た王子様はあの人。読んでからのお楽しみ。

別離

 短編集『悪魔の薔薇』に収録された短編。
 不死な吸血鬼にしては珍しく老いるタイプの話で面白い。ちなみに十字架も身につけている。
 女吸血鬼と添い遂げた眷属の老人は、己が寿命を悟り、彼女にそれを告げた。「まあヴァシュ、あなたうれしくて?」老いた女主人に尋ねられ彼は答えた。「お許しください、姫さま、ですが、うれしくてなりません。ええ、たいへんうれしいのです。ただ、姫さまのことが心配なのです」
 取り残される女吸血鬼のために、ヴァシュエルは新しい若い男を連れてきた。そんな彼の最後の締めの一言が最高に響いたので、個人的にはタニス・リーの中で一番好きな吸血鬼もの短編である。
 「なんと彼女を愛していたことだろう」

紅に染められ

 パラディスの秘録シリーズ『堕ちたる者の書』に収録された中編。
 この「紅に染められ」が後に未翻訳吸血鬼ものシリーズ『Blood Opera』に昇華していったと思われるので、あとがきにも指摘されている通り間違いなく吸血鬼ものなのだが、私は吸血鬼の最大アイデンティティは吸血行為にあると思っていてそのような描写が見当たらないこれを実は吸血鬼ものだと思って読んでなかったのだ!血を吸わないけど体液を搾取してはいるのでそういうことなんですか?(残念な読者)
 吸血鬼には特攻武器である銀の弾だが、これ実は正確には人狼の弱点らしくて、アンドレ・サン=ジャンが死ななかったのは当然なのかもしれない。それから彼の棺からの復活を待たずに道端に捨て置くアントニー・スカラビンが好きすぎる。
 ともあれ、死ぬたびに互いに性転換して復活し、相手を追いかけ続ける無限ループの不毛さが面白すぎる一作で、かなりお気に入りの小説です。

月は仮面

 パラディスの秘録シリーズ『死せる者の書』に収録された短編。
 仮面によりフクロウ女吸血鬼に変身する話である。フクロウは吸血鬼と縁の深い動物らしい。遡ればリリスと関係が深いということらしく、女吸血鬼ものにはコウモリより相応しい変身の姿だろう。
 ケモ趣味のある男に監禁されたエルサ。最終的に帰る場所などなくなってしまった彼女が向かった先は、月だ。彼女は追いかけ、そして、沈む月と共に墜落死した。
 ここでタイトルの意味を悟る。月の光の正体は、吸血鬼の天敵である太陽が発するものだということを。

貴婦人

 『死の姉妹』という女吸血鬼アンソロジーに収録された、かなり短い短編。
 吸血鬼ものの中では変わり種。人魚要素とも融合している印象を受けた。
 最後は船ごとダイナミック吸血してしまうのが見どころで、小説より映像映えする作品に思えた。

ジャンフィアの木

 吸血鬼アンソロジーに収録された短編。
 私は未読で、手に入れるのも困難な状況なので、とりあえずタイトルだけ紹介しておきます。

黄金の魔獣

 正確には人狼もの長編なのだが、明らかに物語の展開がブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』に沿っているので、一応紹介しておく。
 吸血鬼と人狼は同じ狂犬病から発生した概念と思われるので、このような構成になったのだろう。
 しかしブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』登場人物は人格者ばかりで気立ての良い連中だったが、この『黄金の魔獣』は悪意の嵐で胸糞なキャラばかりなので、そこは期待してはいけない。
 そして主役のダニエル自身は美貌の青年で、暴れっぷりもすごいので、どちらかと言えばルスヴン卿タイプだ。トルコ人の雇われからスタートしている辺りは、ドラキュラ伯爵のモデルであるヴラド三世要素も窺える。しかし彼の故郷はルーマニアではなくイギリスである。イギリスに帰ってからは何処となくジェイン・オースティンの作風も漂わせる作品。
 しかしタニス・リーファンの私でもこれは正直あまり好きになれなかった作品なので、吸血鬼マニアにだけオススメしておく。

Posted by tiriw

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